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結婚と報告

れいぽん(寺内玲)と松岡大雅は、4月16日に結婚いたしました。
今までお世話になったみなさん。いつもそばで支えてくれている仲間たち。ずっと見守り続けてくれている家族。たくさんの人たちに感謝申し上げます。ありがとうございます。そして、これからも変わらずふたりをよろしくお願いいたします。

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結婚から半月以上がたってしまってからのご報告となってしまい、すみませんでした。私たちは結婚式の準備を進めており、みなさんにそのご招待と同時に結婚の報告をする予定でした。しかしながら、緊急事態宣言が発令されるという状況下で、私たちの結婚式も大きな影響を受けてしまい、いますぐのご案内ができなくなってしまいました。これについては、noteの後半で詳細に取り上げたいと思います。コロナ禍のジレンマの一部始終を、結婚式を準備するプロセスからお伝えします。

大事な結論を先に言うと、7/23あけといてください!これに関する詳細については、テキストの最後で確認し、後日行うアナウンスもあわせてチェックしてください。

ふたりのこれまでについて

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れいぽんは1997年5月5日に、尼崎で生まれ、少しのあいだ大阪にいました。幼稚園と小学校は静岡の長泉町で過ごし、中学校の3年間はテネシー州のノックスビルにいました。高校は都立国際で派手に生き、SFCに入学しました。昨年の春に学部を卒業し、現在は都内の設計事務所で働いています。

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松岡大雅は1995年6月28日に、東京で生まれました。これまで25年間、ずっと狛江市で生活をしています。幼稚園から高校まで桐朋にいて、1年間の河合塾生活を経て、SFCに入学しました。そのまま修士課程に進学し、今年の春に修了しました。

私たちはSBC合同研究会という、SFCの研究会で出会いました。2016年から交際しているので、現在5年目になります。ちなみに、キャンプをしていた奥多摩の河原で結ばれました。ロックを聴いたり、美術館に行ったり、何かをDIYしたり、共通の好きなことがたくさんあります。食の好みだけは、あまり合いませんが。。

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(SBCの敷地にひまわりを植える)

ふたりはともに、デザインやアート、建築や都市といった分野に興味があります。よく揉めますが、一緒に制作や研究を行える仲間でもあります。2年前にはHUMARIZINEという取り組みを共にはじめ、仲間とともに共同体について試行・思考しながら、毎年1冊のZINEを出しています。ぜひふたりを応援する意味でも、注目していただければと思います!今年の最新号を現在制作中です。

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(HUMARIZINE No.00+No01)

ふたりのこれから(バルセロナ)

れいぽんがこの秋からスペインのバルセロナにあるIAACのマスターコースに進学します。それに便乗するように、松岡大雅もバルセロナについていきます。最低でも1年間、もし仕事などがありビザが獲得できたら、数年間はバルセロナに住むことになるかもしれません。こんな情勢なので、簡単にはいかないと思うのですが、2,3年は現地にいれたらと思っています。旅行が気兼ねなくできるようになったら、ぜひ遊びにきてください。

8月の中旬の出国を予定しており、1年間は帰ってこないと思います。オンラインで繋がれる時代とはいえ、私たちは実空間を偏愛しているので、出国するまでにたくさんの人にお会いしたいです。お声がけお待ちしています。

また、バルセロナでの生活や、現地で行ったリサーチなども、こういったnoteなどの媒体を通じてアーカイブできたらいいなと思います。

ふたりの結婚式について/多摩川

私たちからすると、ここが本題と言っても過言ではないです。これまで結婚式について考えてきたこと、行ってきたこと、そして実現ができなくなってしまった現状を、新鮮なままにアーカイブしておきたいと思います。

私たちは、出国する前の7月に結婚式をやろうと計画してきました。ぼくたちは自分たちでできることは、自分たちでやることを大事にしています。結婚式も例外ではなく、ホテルや結婚式場といった結婚式をサービス化しているものをできる限り頼らないことを決めました。もちろんぼくらの財布にお金がないという現実的な問題もありますが、知らないシャンデリアが吊り下げられ、わからない花びらが投げられ、なんでもありなカタログを渡すようなものに、あまり魅力が湧かないのです。

まずは会場探しをしました。ゼクシィに載っているような結婚式のための施設を選ばないとなると、選択肢は限られます。コロナの不安もできるだけ払拭したく、換気が十分にできる方式として、屋外で式をやろうと決めました。昨今流行っているガーデンウェディングのように、芝生の上でのびのびと結婚式ができたらなんて気持ちいいだろう、と思いました。調べていくうちに、ガーデンウェディング専門の式場のみならず、広場やキャンプ場でウェディングの対応をしているところがたくさん見つかり、まさに私たちがイメージする結婚式のかたちに近い!となりました。めちゃくちゃアウトドア派というわけではないですが、公園でピクニックをしたり、河原にキャンプに行ったりするのが私たちは好きです。そもそも、ふたりが結ばれたのは、奥多摩のキャンプ場なので。。。

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(思い出の奥多摩の河原)

さぁ。そうこうして考えていると、ぼくらを語るには多摩川は外せないな、と思うようになりました。ぼくは東京都狛江市で25年間生き、よく河川敷を散歩していました。和泉多摩川という駅近くの河川敷は、映画「ソラニン」の舞台にもなっています。青春の切ない気分に浸るために、訳もなくアジカンを聴きながら、夕暮れ時の河川敷を散歩していた思い出もあります。ふたりとも、SFCの卒業制作の一部(もしくは大部分)に河川敷が登場しますし、さっきも言ったように付き合うことになった、思い出の水が流れていく場所です。

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(河川敷で行う結婚式のイメージ)

こういう話をしながら、私たちはこんな青写真を描きました。
思い出の多摩川河川敷で結婚式はできないだろうかと。これなら密を回避しながら、たくさんの人たちが集える場所をつくることができる。そして唯一無二の私たちの門出になるだろう。そのように私たちの意見は一致しました。

ふたりの結婚式について/企画

そうなるとぼくたちの手と足はすぐ動きます。さっそく場所を確認するために、河川敷を調査しに行きました。(といっても、家から徒歩10分ですが…)一昨年の台風の影響もあり、河川の護岸工場が行われています。思い出の地形ではなくなってしまっていますが、妙に愛着が湧いてくる場所です。

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(敷地)

ここからは河川敷の利用に関するレギュレーションを調べていきました。
一級河川である多摩川を所有・管理しているのは国(国土交通省)であること。河川敷の一部は、包括占用区域として市区町村による管理が成されていること。イベントを開催する際の狛江市のガイドライン。等々。こういったものを全て調べて、企画書をつくり、狛江市役所に提出しました。

企画書
(初期の企画書の一部)

一撃で跳ね返されることを覚悟しましたが、打ち合わせを重ね、企画をしっかりできれば不可能ではないと、ちょっと戸惑いながらも言われました。担当してくださった職員の方は、とても優しく、丁寧にさまざまなフィードバックをしてくれました。懸念事項をひとつひとつ解消するために、煩雑なやりとりを繰り返していくうちに、最初は戸惑っていた職員さんたちも私たちの企画を応援してくれるようになりました。市役所だけでなく、国交省の出張所でも打ち合わせを行うなど、さまざまなステークホルダーと企画をすり合わせていきました。

そういった作業を積み重ね、企画のディテールを含めて決定し、実施日の3ヶ月前にあたる日に打ち合わせを行うことになりました。3ヶ月前というのは、イベント利用等で狛江の河川敷の予約が開始される日にあたります。メールでの返事も前向きなものだったので、ついに企画が正式に承認され、皆さんにローンチできる!となっていました。結婚式のチケット販売サイトも公開間近でした。

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(チケット販売サイト)

ふたりの結婚式について/白紙へ

色々と前進することを期待していた打ち合わせの翌週から、東京都には緊急事態宣言が発令されることになっていました。とはいえ、総理大臣はGW明けの解除、と言っていましたし、延期するにしても数週間で、私たちの結婚式に影響するはずがないと思っていました。

結婚式の予定日は7月23日。これはスポーツの日という祝日で、これまで10月にあった体育の日を、オリンピックのために名称変更までして設立した新しい国民の祝日です。そしてこの7月23日は、東京オリンピックの開会式の日です。オリンピック開催に向けて、政治的な力があらゆるところで働いている現実をみて、私たちはオリンピック開会式に合わせてイベントを開催すれば、それを中止にすることはできないだろうと考えたのです。仮に、同日開催の数十人のイベントが中止になるのなら、数万人という規模が動員されるオリンピックを開催することと完全に矛盾しているはずです。つまり、オリンピックをやると政府が言っている以上、私たちの結婚式が潰されることはないだろう、と思っていたのです。

ですが、打ち合わせで、イベントを中止せざるを得なくなったと伝えられました。緊急事態宣言が発令されるような状況となり、今回は感染拡大をより強固に防止するため、宣言終了後のイベントに関しても中止を要請することとなった、らしいです。オリンピックの開会式と同日開催のイベントでも、中止になりました。オリンピックは開催される予定なのに、です。

職員の皆さんは申し訳なさそうに、このことを伝えてくれました。私たちと一緒に残念がってくれましたし、ここで私たちが文句を言ったところで変わることではないので、仕方なく諦めましたが、西新宿や永田町に火炎瓶を投げ込みました(心の中で)。そこにいる、ふたりの為政者を心底恨みます。

ここからは推測の域を出ませんが、おそらく緊急事態宣言発令と同時に、オリンピックまでの行政絡みのイベント自粛が求められたのでしょう。国や東京都から直接求められたかわからないですが、忖度を含む何らかの力が働いいているのだと推測しています。宣言の期間外でも、このように中止を要請され、開催ができなくなってしまったのは極めて残念です。私たちが中止を余儀なくされ、落胆していたその日にも、聖火は大分県を何事もないかのように走っていました。

以上のような一連の出来事がありまして、私たちが開催を予定していた多摩川河川敷を占用して行う結婚式は中止となりました。大変残念ではありますが、河川敷の占用を諦めることにしました。
ここまで読んでいただいたみなさま、本当にありがとうございます。このような形での結婚式は中止となりましたが、私たちの門出を心のどこか(もしくは実空間)で祝っていただけると嬉しいです。

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ふたりの結婚式について/おわりに+新しいはじめに

ということで、現在オルタナティブ結婚式を計画中です。
こんなクソみたいな世の中に、私たち夫婦の意志は負けません。何度潰されても、中指を突き返して、幸せになってやります。

みなさま、7月23日(結婚式当日)を必ずあけておいてください。
24日と25日(結婚式予備日)もできればあけておいてください。荒天の場合この日に振替します。

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(現在準備中!ローンチまでしばしお待ちを!)

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