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HUMARIZINE No.03 た種 / Being Other Beings

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HUMARIZINE No.03 た種 / Being Other Beings

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今号のテーマは「た種 / Being Other Beings」である。

私たちは、建築やデザインの分野でも耳にすることの増えた”マルチスピーシーズ”というキーワードを取り上げ、今年のHUMARIZINEの制作を行った。私たちデザイナーやアーティスト、研究者は、自分以外のものたちに囲まれる環境の中で、どのように制作を紡いでいけるのかを多角的な視点から考えていった。こうして、人間・非人間問わず、た種(他種/多種)に焦点を当てていくことで、改めてHUMARIZINEのいう「人間」への気づきも得られるのではないだろうか。

今号はれいぽんと松岡大雅がスペイン・バルセロナにいることから、東京にいる佐野虎太郎と別にチームを構築し、2チーム制で執筆・編集を進めていくこととした。

バルセロナチームはれいぽん・松岡大雅を筆頭にバルセロナで出会った友人であるケニー、オグロー・シャルヌート、ジェシー・セグラが執筆者として参加し、各々が研究していることを中心に筆を進めた。

東京チームは佐野虎太郎を筆頭に、もともと親交のあった稲田玲奈、安永葉月が新たに加わりコンテンツ編成から執筆までを行った。今号のテーマに近い制作を行なっていた河野茉莉子も執筆に加わった。

チーム別に行なった編集はまさに「た種 / Being Other Beings」を具現化した関係性構築のプロセスであった。バルセロナチームは東京チームにとっての他種であるし、逆もまた然りである。そしてこうした両者の関係性の結果として生まれたHUMARIZINEは、私たちがつくっていきたい共同体の輪郭を現すような一冊となった。

東京チーム    

佐野虎太郎

稲田玲奈

安永葉月

河野茉莉子

バルセロナチーム

れいぽん

松岡大雅

オグロー・シャルヌート

ジェシー・セグラ 

エディトリアルデザイン

松岡大雅

表紙絵

Generated by Midjourney

書道『種』

細江澄日

た種 / Being Other Beings を考える

松岡大雅

2021年の晩夏、HUMARIZINEを創始したれいぽんとともに日本を去った。日本に嫌気がさしたわけではないが、こちらに来れて良かったと心から思っている自分がいる。れいぽんの論考で詳しく触れるだろうが、ぼくたちは今スペイン・バルセロナで生活を送り、れいぽんはこちらの大学院で研究・実践活動を継続している。一方ぼくはシェアハウスに籠ってリモートワークをしながら、主夫をしている。コロナ禍の軟禁状態によって鬱気味だった1年半前の自分に比べて、すこぶる健康的な日々を送れているし、日々新しい発見や学びがあって刺激的でもある。この刺激をもたらしてくれるのは、バルセロナでできた友人たちだ。特にルームメイトたちはバルセロナで脱成長の研究をしていて、ぼくの拙い英語力に合わせながら、夜な夜な議論に巻き込んでくれる。日本でも、日本を離れても、議論ができる友人に囲まれて過ごせるのは幸せなことだと思う。同時に、ぼくらがHUMARIZINE的な思想(「人間的であるということは、今ここにある自分が感じることから思考するというような身体性を持って、外部から偶発性を生み、行為するということだと考える。」)を持ちながら生きていると、なんとなくそういう空間に流れ着けるのだろう、という自信が芽生えた。だから本号では、今バルセロナにいるという状態を存分に生かした構成でHUMARIZINEをつくりたいと思うことができた。東京で涙の別れをした佐野にTokyoチームをオーガナイズしてもらうこととし、Barcelonaチームとは別空間・同時並行で進めていくこととした。東京とバルセロナを繋ぎ止める大きなテーマは「た種 / Being Other Beings」としたが、そのテーマの細かい解釈は各チームに委ね、最後の製本段階で東京とバルセロナが落ち合うというスリリングなプロセスを実践したい。

「た種 / Being Other Beings」の解釈をしてみたり、その答え合わせをしてみたりなどはこれからのコンテンツに任せるとして、「はじめに」では本号のテーマを定めた経緯について触れておきたい。
「た種 / Being Other Beings」となる前、ぼくは本号の仮のテーマを「マルチスピーシーズ」としていた。ぼくがマルチスピーシーズに興味を持ったのは、2020年に修士研究に取り組んでいる際、マルチスピーシーズ人類学研究会が出版している『たぐい』という雑誌を買ったところまで遡る。当時のぼくは人類学者ティム・インゴルドの書籍を数冊読破し、フィリップ・デスコラの『自然と文化を超えて』に挫折するなど、少しずつ人類学にハマりはじめていた。その延長で知ったのがマルチスピーシーズという言葉だったように記憶している。マルチスピーシーズ人類学研究会の中心的人物である奥野克巳は「マルチスピーシーズ民族誌は、科学技術や政治経済体制が地球の隅々を覆い尽くす中で、その活動が破壊的な力を持つとされる、人間という単一種から、動植物や微生物といった生物種が、人間の支配や制御のもとで、あるいはそれらから逃れて、行為主体として、多種の絡まり合いの中で生存と繁栄を築いてきたことへと視点を移動させたのである」と整理している。
自分の研究で、人間が中心に存在する近代的な制作観を批判していたこともあり、このような人類学者たちによる視点の移動にとても共感を覚えた。こうした他分野の言説をヒントにしながら、ぼくの専門領域である建築について修士課程で思考を進めてきた。とりわけものづくりにおいて、作り手である人間の主体性が強く、素材がこれでもかと客体化されてしまっていることに注目してきた。こうした人間と素材の関係性を紐解く手がかりとして、廃棄物(素材)から制作者(人間)が何かを学びながら制作するプロセスについての研究・実践を行っている。

このように強すぎる主体の問題を抱えながら、ぼくは世界に対して強い主体性を行使してきた西洋という地に渡ったのだ。その西洋はヴェネチアで「マルチスピーシーズ」という言葉と偶然にも再会することとなった。コロナ禍で延期され、2021年に開催されたヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展のテーマが「How will we live together?」であり、その一角では「Multispecies Architecture」というコンセプトが展示されていた。人類学から興味を持った「マルチスピーシーズ」と自分が学んでいる「建築」が自然に合体し、一つの世界的テーマとして扱われていることに驚きを覚えたと同時に、こうした概念を探求していく意義を深く感じた。しかしながら、その展示内容に関しては釈然としないものが多かった。人間以外の多種を用いながら、デザイナー・建築家としての新たな表現を開拓していこうとする腹黒さを感じることもあった。

「どのようにして私たちは共に生きられるのだろうか?」という問いにおける「私たち」とは誰なのだろうか?その「私たち」の中から私を除いた存在と、私のあいだには何があるのだろう?こういった抽象的な疑問について多角的に考えていくためのテーマを設定したいと思うようになった。ぼくたちは常に自分にとっての私であると同時に、何かにとっての誰かでもあり続けている。ぼくは好きで鶏肉を食べるが、ニワトリにとってぼくは残虐な殺し屋かもしれないし、種の繁栄を手助けしてくれる存在かもしれない。こういった異なる種との複雑な関係性について真面目に見ていくことは、HUMARIZINEが改めて「人間」について考えることにも繋がるのではないだろうか。そのような期待を込めて今号は「た種 / Being Other Beings」としたい。

あとは東京とバルセロナの距離に悩まされながら、自由にテーマを深め、楽しく編集をしていこうと思う。その距離を超えて見出されるものは何だろう?最後まで理解し合えないものは何だろう?こうした興味に対する答えを導いてくれるのは、いつも自分ではない異なる何かだったりするはずだ。今号のHUMARIZINEでは、バルセロナチームにとって東京チームは「た種」である。もちろん逆もまた然りだ。こういった関係性から生まれてくるZINEが今からすでに楽しみで仕方ない。

p.s.編集作業も佳境に入ったころ、他種と多種の両方の意味を込めるために、テーマの表記を「た種」とひらがな表記に変更した。


Tokyo Intro: Wicked designers for Wicked Problems?

佐野虎太郎

Tokyo: コントロール不可能性と共生可能か 展覧会評論:『セカイは微生物に満ちている』

佐野虎太郎

微生物とより良く共生する、ありうべき未来とはどのようなものか?2022年春から日本科学未来館でスタートした常設展『セカイは微生物に満ちている』への評論。筆者のバイオマテリアルを用いた制作を例に、他種とともに生活する際のままならなさや面白さを考えることから微生物に満ちたセカイを見つめ直す。


Tokyo: 他種と共にある風土

廣瀬俊介 / 書き手: 稲田玲奈

廣瀬俊介さんが筆者に見せてくれたランドスケープデザインの過程に描く風景は人も生物も同じ目線で描かれていた。地域の風土を調べることから行う設計過程に他種はどのように捉えられているのだろうか。廣瀬さんの考える「人間のつくる社会と自然の関係の調整」を探るために廣瀬さんが暮らす栃木県益子町へ訪れ、他種に対する眼差しの背景を伺った。


Tokyo: スピーシーズ・フィールドワーク

稲田玲奈 + 佐野虎太郎 + 安永葉月

Tokyo: 「他者」との対話を可能にする共食

安永葉月

食には私たちを生かすだけでなく、人を集め、生産者や産地の物語を集め、社会・環境について起きている諸問題をも食卓に集める機能がある。本稿は、時としては相容れない立場の人と人とを対面で繋げ、食の場を通して対話や個人的な関係の構築を試みたアート作品(「共食」と記述する)を紹介し、それらの方法論を概観する。筆者の共食プロジェクトにも触れながら、筆者の取った手法と、食の場が持つ可能性について考えていく。


Tokyo: COM ポスト資本主義

安永葉月

Tokyo: ヒトがニワトリの家をつくる—滝ケ原チキンビレッジの設計—

河野茉莉子

コロナをきっかけに生活を維持する食に興味を抱いた筆者は、鶏を取り巻く産業の疑念に対して建築という手法によって取り組んでいった。「自分たちの食べるものは自分たちで作る」という思想を掲げる石川県は滝ヶ原ファームを訪れ、そこに「滝ヶ原チキンビレッジ」を設計した。鶏という他種に対するデザインはどのように行われたか、筆者の思考の変遷とともに紹介する。


Tokyo: 産業と生態系の結節点をコオロギと共にデザインする

オオニシタクヤ / 書き手: 佐野虎太郎

コオロギという他種のためにどのようなデザインが可能か。他種とともにデザインするとはどういうことか。人間の食糧・タンパク源であるコオロギを養殖することで人間とコオロギという他種の間にどのような関係を構築することが可能なのか。オオニシタクヤさんへのインタビューをもとにその視点やそのデザイン手法を探っていく。


Tokyo: 座談会:マルチスピーシーズデザインの日常的実践は可能か

稲田玲奈 + 佐野虎太郎 + 安永葉月

マルチスピーシーズと共に生きる未来を目指して、どのようなデザインの実践が可能か。東京チーム編集メンバーが制作過程を振り返りながら、今号のテーマである「た種」へのまなざしを考える。


Barcelona intro: Living as Others & Designing Marginal in the Land of Barcelona

れいぽん

Barcelona: 人間中心主義を乗り越えるためのマルチスピーシーズ・アーキテクチャ

松岡大雅

2021年のヴェネチア・ビエンナーレ国際建築展に訪れた際に感じた疑問を起点として、建築と他種の関係性を考える。「マルチスピーシーズ・アーキテクチャ」をヒントにし、私たち人間のためだけでなく、他種のためにも存在しうる建築とは何かを探究する。そして、人間と他種の関係を建築がつくり、人間中心主義を乗り越えていくアイデアを提示する。


Barcelona: 持続可能な生き方を目指して〜脱成長的生活の実践〜

ケニー

脱成長とは、持続可能とは果たしてなんなのだろうか?本稿では筆者がスペイン・バルセロナの大学院、バルセロナ自治大学「Political Ecology, Degrowth and Enviromental Justice」コース在学中に行ったオフグリッド生活のプロジェクトを通して感じたこと・考えたことを振り返り、そして「脱成長」に対する現在の考えや理解の仕方を共有している。


Barcelona: Perma-culture Interview of Christo

ジェシー・セグラ & オグロー・シャルヌート

Barcelona: 「バランス論」は「モンゴル論」:南モンゴルのオヴー奉納儀礼を通してモンゴル人の世界観を理解する

オグロー・シャルヌート

モンゴルの牧民たちは、伝統的な全体論的世界観の中で、オヴー奉納の儀式を通じて人と自然の間に良好な関係を築くことが不幸や環境災害からコミュニティを守る一つの方法であると信じている。本稿では、オヴーの儀式とモンゴルの伝統的世界観の探求を通して、持続的かつ長期的な解決策をもたらすためには、研究者や政治家が現在の地球環境問題における地域や先住民の精神的信仰の価値を理解し認識することが重要であると論じている。


Barcelona: モンゴルの詩

ジェシー・セグラ

本稿は、さまざまな民族の自治を制限しようとする強力な国家の状況の中で、抵抗の戦術とオルタナティブを探るものである。具体的には、内モンゴルの詩と協同組合に焦点を当て、インスピレーションと探求の場を提供する。モンゴル先住民へのインタビューを通じて、同化への試みをよそに、多様なイマジネーションが形成される可能性と重要性を提唱している。また、本稿は歴史と未来に対する自律性を中心とした同様の闘いに手を差し伸べ、つながりを持たせようとするものである。


Barcelona: Design for Emergent Futures とは何だったのか?:自分の土地ではない場所を耕すことの難しさ

れいぽん

本稿は筆者がバルセロナにあるIaaCという学校で学び疑問に感じたことを元にEmergent Futuresに対するデザインはどうあるべきかを綴っている。筆者が行っていたコンポストプロジェクトを通してIaaCが求めているプロジェクトとのギャップやデザイナーとしての自分との姿勢の違いなどを感じた上で明らかになった目指すべきデザイナー像を考える。


Barcelona: El Born Diary

住人たち

東京—バルセロナを繋げるための往復書簡

東京・バルセロナチーム

今号行われた2チーム制での編集を接続し、一冊の雑誌として「た種 / Being Other Beings」への思考を共に巡らせるために東京ーバルセロナチーム間で往復書簡を行った。


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